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東宝中学校

光明区政府ポータルサイト

2023-07-21

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 下村は、深セン市光明新区公明弁事処下村コミュニティに属し、公明弁事処から北西に1キロメートル離れた場所に位置している。この村は深セン北部の丘陵・谷地に位置し、村の北には茅洲河も西田ダムもある。村は南宋・宝佑三年(1255年)に発足し、伝統的な民家は「広府」様式の住宅で、現在も100軒の民家が存在している。

 現在、村の下村小学校の構内に連なっている3軒の約1300平方メートル古い建物は東宝中学校の跡地である。1944年冬、抗日の幹部を育成し、学生を組織し抗日救国活動に身を投じさせるため、東江縦隊は東宝中学校を創設することを決定した。学校は元の宝安県公明水貝村(現在、光明新区公明弁事処下村コミュニティ)に設置され、3軒の連なる陳氏祠堂で構成され、東宝地区初の抗日民主学校であった。関連資料によると、東宝中学校の設立時に、3軒の祠堂は新しく飾り付けられ、真ん中の祠堂は「ゴーキー室」、左側と右側はそれぞれ「魯迅室」と「韜奮室」と名付けられた。東宝中学校は1945年2月に正式に開校し、その名誉学長は東江縦隊司令官の曾生氏だった。1945年10月、東宝中学校は廃校となったが、1956年9月に再開した。1960年9月には「公明中学」に改称され、その後、公明中学校は移転し、現在は「下村小学」となっている。この場所は文化財としての価値に加えて、革命に関する教育的意義も持つ紅色観光スポット(革命ゆかりの地)である。2004年8月、宝安区文化財管理委員会によって「宝安区第1弾となる移動不可能な文化財保護スポット」に指定された。

 下村には「貽燕囲」という代表的な民家があり、清・咸豊年間(1851〜1861年)に建てられた。「貽燕囲」は当時陳沢富氏が戦争に勝利して凱旋した際に故郷に建てられた官邸の外塀である。敷地面積は300平方メートルであり、現在未評価の移動不可能な文化財保護単位として指定されている。

 また、村には朴国陳公祠、泰宇陳公祠、喬荘公祠も残っている。朴国陳公祠は清代に建てられ、敷地面積800平方メートルで、レンガと木で出来た建物である。この公祠も区指定の移動不可能な文化財保護単位である。泰宇陳公祠は清代に建てられ、敷地面積は120平方メートルである。喬荘公祠も清代に建てられ、未評価の移動不可能な文化財保護単位である。朴国陳公祠と泰宇陳公祠は現在、宗祠としての使用はされていない。

編集・翻訳:GDToday

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